TOP


[第147話]
愛の戦士シャチ死す!
友よ、愛こそすべてと知れ!!


 女人像から放たれる声は、泰聖殿へと向かうケンシロウにも届いていた。そしてそれは、泰聖殿に近づくほどに強く、ケンの血を沸き立たせていた。俺を引き寄せる何かがそこにある。確信を強めながら、ケンはシャチ達の救出へと急ぐ。

 傷の所為でろくに動く事のできない自分に、もどかしさを覚えるヒョウ。そんなヒョウに対し、タオは尋ねた。兄同然に育ってきたカイオウと、貴方は戦うことが出来るのかと。しかし、ヒョウはもう心を決めていた。己の野望のためになら実の妹までも殺す、魔神カイオウ。その魔神が支配する世界は、終わらせねばならない。そのために自分は、この残り少ない命を全てケンシロウのために尽くすのだということを。

 朽ち果てたはずの身体を起こし、シャチは再び立ち上がった。その姿に異様さを感じながらも、止めの一撃を放つカイオウであったが、その拳は初めて虚空をきった。それどころかシャチは、その打ち出された拳先に反撃を加えてきたのである。動揺するカイオウに向かい、更に攻撃に転じるシャチ。背後をとったその腕が、カイオウの首を締め上げる。その力は、先ほどまでのシャチとは比べ物にならなかった。そしてその身体には、もはや破孔すら通じなくなっていた。既に死んでいるシャチの身体を突き動かしていたもの。それは、朽ち果てる事のない愛の力を受けた、女人像の力であった。

 なんとかシャチの締めから脱し、強烈な頭突きで反撃するカイオウ。だがシャチが崩れ落ちた瞬間、カイオウの前に新たな脅威が現れた。先ほどまでシャチに力を貸していた北斗宗家の亡霊達が、カイオウの周りに佇んでいたのである。恐怖し、当たらぬ攻撃を繰り出すカイオウの姿に、もはや魔神としての威厳はなかった。シャチは言った。カイオウを苦しめていた音は、女人像がケンシロウを呼び寄せる声なのだと。北斗宗家が組するのは、あくまでケンシロウであり、自分ではない。その事を再確認したカイオウは、決意を固めた。北斗神拳の奥義が愛ならば、北斗琉拳の奥義は悪。悪は愛をも支配するという事を宗家の亡霊たちに知らしめるため、カイオウは秘拳を得たケンシロウを倒そうと考えたのである。リンを連れ、カイオウは泰聖殿を後にした。ケンとの最後の戦いへと向けて・・・

 辿り着いたケンが見たものは、傷つき果てたシャチの姿であった。しかし、シャチの顔には笑みがこぼれていた。女人像の力のお陰でレイアを守ることが出来た。それだけでシャチは満足だったのである。その女人像は、ケンの到着に呼応するかのように崩れ落ちた。中から現れたのは、文字の刻まれた石柱であった。秘孔 詞宝林を突け。突如頭の中に響いた声に従い、自らに秘孔を突くケン。かざした手から流れ込んできたのは、北斗神拳創始者の凄絶なる生涯、そして刻まれていた大いなる遺産であった。男の生きた世の人々の哀しみ、そして天を突く怒りを体験し、ケンは今、秘拳をその手にしたのであった。

 レイアへの愛に生きた己の生涯に悔いはない。あとはケンの手によって、レイアが陽の下で愛を説ける時代が来る。シャチはそう確信していた。英雄の最後を見届けるかのように、北斗宗家の石柱が、今一度眩い光を放つ。ゆっくりと瞳を閉じたシャチの最期を、レイアは涙で見送ったのであった。最期の戦に向け、ケンは今、シャチの愛をその身体に背負ったのであった。
放映日:88年1月14日


[漫画版との違い]
・カイオウと戦えるのかとタオに聞かれたヒョウが、それに答えるシーン追加
・現れた宗家の亡霊にカイオウが怯え、拳をふりまわすシーン追加
・原作ではケンが到着する前にシャチが死ぬが、アニメではケンが秘拳を会得した後に死ぬ。
・詞宝林の事は原作ではヒョウより伝えられるが、アニメでは石柱がケンの頭の中に話しかけて教える
・女人像の腕がカイオウの居場所を示すシーンは削除
 



・あんま要らんくない?
シャチによると、原作のヒョウは、泰聖殿のどこに秘拳が隠されているか知っていたらしい。シャチは聞いていなかったが、おそらくケンには伝えたのだろう。一方アニメのヒョウは、泰聖殿の何処にあるかまではわからないと言い切っていた。更にアニメのヒョウは、ケンに詞宝林を突くことも教えてはいなかった。きっとその事も知らなかったのだろう。正直言ってこれでは、アニメ版のヒョウは全くもって役立たずと言わざるをえない。泰聖殿が聖地であるなら、秘拳もそこにあるという可能性は高い。ヒョウに教えられずとも、そこにたどり着いていた可能性は十分にある。重要なのはその場所と、詞宝林の存在ではないのか?それを知らなかったヒョウの記憶に、呼び覚ます価値などあったのだろうか?
・1800年前
ケンが体験したシュケンの生涯。シュケンのシルエットがどう見ても兜を被った拳王様にしか見えないというのもアレなんですが、それよりもシュケンの体験であるはずなのに、崩壊したビル群が散々映っていることのほうが問題かと。シュケンが生きたのは三国志時代の中国であり、もちろんビルとかなんてあるはず御座いません。まあ宗家の亡霊は「人の世の哀しみに涙するのです」とも言っているので、これは核戦争後の人々の悲しみを表したものだとも考えられますが・・・。にしたって、普通はその戦乱の世の人々を映すだろう。マニア的にはかなり重要なシーンであるので、スタッフはもうすこし考えて描いて欲しかったです。


第146話へ≪ ≫第148話へ