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岩山両斬波
がんざんりょうざんは



流派: 北斗神拳
使用: ・ケンシロウ(対 スペードの部下)
 …原作(3話) アニメ版(2話)
・ケンシロウ(対 牙大王)
 …原作(37話) アニメ版(29話)
・ケンシロウ(対 盗賊)
 …アニメ版(89話)
登場: 北斗の拳/アニメ版/北斗の拳3/PS版/
サターン版/パンチマニア/激打ZERO/
審判の双蒼星/北斗ONLINE/北斗無双/
真北斗無双/北斗が如く/リバイブ/
パチスロ蒼天


 渾身の手刀を振り降ろして相手の頭部を叩き割る北斗神拳の奥義。頭の内部までめり込んだ手刀は、相手の頭蓋骨を粉々に粉砕し、確実に死に至らしめる。




 原作漫画の中でケンシロウが2回使用した珍しい奥義でもあり、一度目はスペードの部下に対して使用。鎖を引き合う力比べで圧勝した後、引き寄せた相手の顔面に手刀を炸裂させ、一撃で死に至らしめた。この時は左手で繰り出している。




 二度目は牙大王に対して使用。華山角抵戯で鍛え上げられたという頭部の硬さをまったく問題にせず、頭頂部に深々と手刀をめり込ませた。この時は右手で放っている。





 TVアニメ版では、山で遭遇した山賊一味の巨漢に対しても使用。アッパー、ボディーブローに続けての岩山両斬波というコンビネーション技のような使い方をした。相手が巨漢だったため、ボディーブローで頭を下げさせるのが目的だったと思われる。この時は右手で、顔面に炸裂させている。
 その後、この相手は爆死しているが、その前にも二発パンチを当てているので、岩山両斬波で秘孔を突いたのかどうかは不明。





 ゲームではしばしば盛った演出が加えられており、『北斗の拳 審判の双蒼星 拳豪列伝』では手刀を振った衝撃波で地面が抉れたり、『北斗無双』に至っては、衝撃波が一直線に走りぬけ、直線上にいる敵を一掃するという技になっている。スマホアプリ『モバイル真・北斗無双』では更に強力な無想転生verがあり、衝撃波が3wayになっている。





 スマホアプリ『北斗の拳II 百万の覇王乱舞』『激打MAX」には、岩山両斬波と北斗百裂脚のコンビネーション技「百裂両斬波」なる奥義も登場する。


 『激打ZERO』の中には、リュウケンからこの奥義修得のための修行を受けるモードがある。しかし「北斗岩山両斬破」と、本来つかない「北斗」の冠がつけられ、更に「破」と「波」を間違え、おまけにモーションが普通のパンチであったりと、トリプルで間違えられている。


 『北斗が如く』では、巨漢の相手に使用すれば威力が50%アップするという効果が付与されていた。


『パンチマニア2』ではゲイラに対して使用。
『北斗の拳(セガサターン版)』ではトキでも使用可能。
『パチスロ蒼天の拳』では、演出の中で霞拳志郎も使用している。







 この奥義に対して、よくこんな意見を目にする。

 「岩山両斬波ってただ力任せにチョップしてるだけじゃん」

 この考えは大きな間違いだ。何故なら、ケンシロウの力任せのチョップがこの程度の威力のはずが無いからだ。


 原作で2回使用した時も、アニメに登場した時も、その威力は「頭部を少しへこませる」程度であった。だが皆さんもご存知の通り、ケンシロウのパワーはこんなものではない。

マミヤの村のダムが破壊されたときは、その穴を防ぐために手刀で大岩を切り取って蓋にしていた。ハーン兄弟を救出するときは、あの二人でも砕けなかったコンクリート+太さ20cm程の鉄柵を易々と砕いてみせた。そんなケンシロウの手刀なら、文字通り相手を「両斬」できる威力はあるはずなのである。



 なぜ岩山両斬波が「あの程度の威力」なのか。そこには必ず理由があるはずだ。そのヒントとなりそうなのが「炸裂奥技シリーズ其之一 岩山両斬波」なる玩具のパッケージにある解説文である。





 人間の身体で最も重要な箇所、それは何と言っても脳である。そして、その脳を保護する頭蓋骨、顔面には急所が多数あると言われる。なかでも、中心線上には上から順に急所が存在する。天頂部、ここは頭蓋骨が最もうすい、下におりて眉間、眼と眼の間、鼻の下、アゴの先。いずれもよく知られている。
 岩山両斬波。北斗神拳におけるこの強烈な必殺技の必殺技たるゆえんも、人間の顔面の中心線上にある急所、その全てに一挙に衝撃をくわえ、真っ二つにしてしまう点にある。



 つまり岩山両斬波とは、相手の急所が集う頭部の正中線を狙って繰り出される技ということらしい。闇雲にチョップしているわけではなく、しっかりとした理由に基づき、急所めがけて繰り出される正確無比な一撃なのである。まあ当然と言えば当然だ。ただの全力チョップにこんな大層な技名など付けるはずが無いし、そんなものをケンシロウが2回も使用するはずが無いのだ。


 この明らかになった情報を元に、岩山両斬波という技の真髄とは何か、どうして「あの程度の威力」なのかを考察してみる。



●未熟者のための技

 北斗神拳の使い手はいずれも一騎当千の強さを誇るが、彼らとて拳を習いたての頃はヒヨッ子にすぎない。そんな成長途上の者達のために編み出されたのが、岩山両斬波なのではないだろうか。理由はいくつ考えられる。


【未熟者のための切り札的存在】
 北斗神拳の強さの根幹にある「秘孔突き」や「潜在能力100%開放」といった技術は、そう短期間で会得できるような代物ではない。つまり北斗神拳を学ぼうとも、修行暦が浅い者は一般的な他流派の拳士と比べても大差ないのである。そんな状態でも、対人戦において威を発揮できるのがこの岩山両斬波。急所を一斉に攻撃するこの攻撃がちゃんと決まれば、潜在能力の開放なくとも大ダメージが期待できるわけだ。


【戦況を優位にする】
 ケンシロウの岩山両斬波は一撃で相手を絶命せしめるが、未熟者ではそうはいかない。だが急所に攻撃を当てれば、相手の各器官に多大な損傷を負わせられるため、その後の戦況はグッと好転するだろう。
頭頂部にある百会に強い打撃を与えれば頚椎の損傷が期待できるし、額にある神庭を攻撃すれば脳に損傷を与えられる。眉間の鳥兎(印堂)を打てば意識を混濁させられ、鼻の下の人中を打てば呼吸困難や歯を折ることが出来る。一撃で勝負を決めるパワーがなくとも、これだけ有利な状況を作り上げられれば、勝利を得たも同然と言えるだろう。




【修練を兼ねている】
 岩山両斬波が頭部の正中線にある急所を狙う技なのだとしたら、そこに求められるのは"精度"だ。「敵が動いたから肩に当たっちゃった」では、チョップではあっても岩山両斬波では無いのである。岩山両斬波を極めるということは、相手の急所を捉えられるようになる精度の鍛錬に繋がり、ひいては秘孔を正確に突く技術の修得へと繋がるのである。



●「痛み」を与えられる

 岩山両斬波は頭部の急所を狙う技だという。だがケンシロウの超人パワーで相手を真っ二つにしてしまっては、多少ズレようが相手は即死である。急所を狙う意味がなくなるのだ。そこに意味を持たせるために必要なこと、それは「威力をセーブする」ことだ。何故そんなことをするのか。それは、敵に痛みを与えるためである。岩山両斬波を受けた相手は皆一様に死んではいるが、あの程度の威力であれば絶命するまで数秒はかかるだろう。その間、相手は急所を一生攻撃された事による絶望的な痛みを体感しながら、最期の時を迎えるわけだ。北斗有情拳とは真逆に位置する、まさに非情の拳。北斗非情拳である。
 「わざわざ威力を落としてまでやることか?」と思われるかもしれないが、北斗神拳には得てしてそういうドSな側面がある事を忘れてはならない。死ぬまでにわざわざ時間を与えることで死への恐怖を募らせる「北斗残悔拳」や「残悔積歩拳」も十分非情な拳だ。その「死ぬまでの数秒間に恐怖を与える」という効果を「死ぬまでの数秒間に激痛を与える」のに置き換えたものが、岩山両斬波というだけの話なのである。


●拳盗捨断との二択を迫れる

 北斗神拳には拳盗捨断という奥義がある。手刀を振り落ろすことで相手のガードを誘い、そのガードした手の秘孔を突いて破壊するという技だ。ケンシロウがカイオウにこの奥義を使用したとき、ケンの手刀はカイオウが防御した腕を透過して、「両手の」秘孔を突いた。それはつまり、カイオウの両手が交差した部分、クロスガードの真ん中を攻撃したということだ。この軌道は岩山両斬波と全く同じ。状況に応じて岩山両斬波と拳盗捨断を使い分けることが可能なのである。千変万化する戦いの流れに対応できるのが北斗神拳の特性の一つであり、岩山両斬波もその一端を担っているのだ。


●コスパが良い

 指先でチョンと突くだけで敵が爆発する北斗神拳は非常に楽な拳法に見えるが、そうではない。あの人体破裂を起こすためには、突いた秘孔から強烈な"気"を送らねばならないのだ。相手が一山いくらのモヒカンであっても、連戦になれば疲弊は免れないのである。ケンシロウとて体調の悪い日もあるだろう。後の死闘を考慮して気を温存しておきたい時もあるだろう。そんな時に役に立つのがこれ。気を消費することなく相手を絶命させられる奥義界のプリウスこと岩山両斬波なのである。それはまさに給料日前のモヤシ。バイオハザードにおけるナイフ。テレビ局における街ブラ番組の如くである。





 いかがだろうか。岩山両斬波が「あの程度の威力」であっても、いや「あの程度の威力」だからこそ輝ける場面も多様にあることが判ってもらえたと思う。

 北斗神拳の強さを支えているのは、無想転生天破活殺といった強力無比な奥義であることは間違いない。しかし全ての奥義がフルスイングでも拳法は成り立たない。極められた拳である北斗宗家の拳が威を消失したように、千変万化する戦いに対応できるための様々な技能が無ければ、1800年に渡って最強の座を守り続けることなどできはしないのだ。適材適所。威力は控えめだが、それを長所とすることで"使い手を生かす"奥義。それが北斗神拳における岩山両斬波のポジションなのではないかと思う。