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リュウケン/霞羅門



登場:原作(41話〜)TVアニメ版(30話〜)
   蒼天の拳、ジャギ外伝 他多数
肩書:先代北斗神拳伝承者
流派:北斗神拳
CV:千葉順二(TVアニメ)
   槐柳二(TVアニメ 100話以降)
   戸谷公次(TVアニメ 若い頃)
   大塚周夫(真救世主伝説シリーズ)
   斧アツシ(天の覇王)
   田中秀幸(真北斗無双)
   神谷明(DD北斗の拳)
   町田政則(リバイブ)
   麦人(蒼天の拳 TVアニメ)
   郷里大輔(蒼天の拳 CDドラマ)
  [少年時代]
   近藤隆(蒼天の拳 TVアニメ)
   榎木淳弥(蒼天の拳REGENESIS)

 第63代北斗神拳伝承者。ラオウトキジャギ、ケンシロウの養父であり師匠。物語が始まった時点では既に故人。


 拳法の後継者となる男児に恵まれなかったため、ジュウケイの手によって海の向こうの国から送られてきラオウ、トキ、ケンシロウ三人、それにジャギを加えた四人の子供を養子に迎え、次期伝承者候補として北斗神拳を教えた。

 数年後、熟慮の末に末弟のケンシロウを次期伝承者伝承者に指名。その後、掟に従いラオウの拳を封じようとしたが、後一歩のところで心臓発作に襲われ、逆にその命を奪われた。

 修行時代には、兄弟弟子であるコウリュウと伝承者の座を賭けて競い合い、実力では劣っていたものの、コウリュウが身を引いたためにリュウケンが伝承者として選ばれた。
 かつてジュウケイ魔界に入った際には、北斗仙気雷弾にて辛くも勝利し、正気を取り戻させた。


 TVアニメ版では、回想シーンの多くが青の単色カラーになるので、既に故人であるリュウケンの出番は殆どがこの色での登場となっている。(髪のある頃は通常のカラーの時もある)
 なお、初期は千葉順二氏が声を担当されていたが、おそらく病欠のため、第100話の出番より槐柳二が代わりに担当されている。若い頃の声は、ジャギを担当されている戸谷公次氏が務めている。


 『蒼天の拳』では、霞 羅門という名前で、62代伝承者霞拳志郎の異母弟として登場。1935年当時はまだ幼い子供だったが、既にかなりの強さを備えており、もし拳志郎が中国から帰らない場合は次の伝承者になるよう指名を受けている。
 1937年には兄の婚約者である潘玉玲と会い、彼女が上海に戻る際にはその護衛として付き添い、大湖弊の殺し屋を撃退してみせた。
 1970年代には日本でケンシロウが生まれた瞬間に立ち合い、兄・拳志郎の名をとって赤子に「ケンシロウ」と名付けた。


 『ジャギ外伝 極悪ノ華』では、火事に見舞われていた赤子のジャギを救い、養子として迎えたという設定になっている。「息子」であるジャギを北斗神拳の道に踏み入れさせまいとするが、その強い覚悟の前に折れ、"師父"としてジャギに北斗羅漢撃を授けた。

 『リュウケン外伝 THE JUDGEMENT DAY』では、原作とはまた違う、北斗神拳伝承者としてのリュウケンの生き様を表現。ケンシロウという救世主を作り上げるため、その最大の敵として立ちはだかるようラオウに告げ、核の炎に焼かれて死亡した。

 『真救世主伝説 北斗の拳 ユリア伝』では、ダーマよりユリアを預かることになり、他の兄弟達と同様に北斗の寺院にて共に暮らすという設定に。

 『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章』では、亡霊となってラオウの前に出現。ギラクの案に乗ったラオウに対し、覇道を優先させるのはケンシロウとの戦いを恐れているからだと告げた。




 拳の力でこの世の覇権を握らんとしたラオウ。
 北斗神拳二千年の歴史の中で最も華麗な拳を持つトキ。
 哀しみを背負い北斗神拳史上最強の男となったケンシロウ。

 この三名を育て上げ、北斗神拳に最強の時代を到来させた育成の鬼。それが第63代北斗神拳伝承者リュウケンである。あと1名いたような気もするが、とりあえずステイしておこう。

 第61代伝承者 霞鉄心の息子にして、第62代伝承者 霞拳志郎の弟であったリュウケンは、その兄から伝承者の座を受け継ぐ形で第63代北斗神拳伝承者の座についた。同門のコウリュウの方が拳力は上だったらしいが、どういうわけか彼が身を引いたことで、リュウケンが伝承者となったらしい。そういえば蒼天の中でリュウケンは、「次の伝承者はお前だ!」と兄から指名されていたので、コウリュウもそういう世襲的な面で空気を読んだのかもしれない。


 リュウケンの伝承者時代における活動内容はよく解っていない。強いて言えば魔界に堕ちかけたジュウケイを正気に引き戻したくらいのもので、普段何をしていたかは全くの不明だ。まあ兄ちゃんも中国で好き勝手やっていたのだから、彼が何をしていようが咎められる理由は無いのだけれども。

 そしてある時、リュウケンの養子となるべく、ラオウ、トキ、ケンシロウの三人が海を渡ってやってきた。リュウケンが男児に恵まれなかったことから「北斗神拳に伝承者無き時、これを北斗劉家拳(北斗琉拳)より出す」という掟が発動し、北斗琉拳の伝承者であったジュウケイが3人の子供を選抜して寄越してきたのだ。人間的に何かと問題の多いジュウケイさんだが、この3人を選んだ事を考えると、秘めた才能を見抜く力だけは素晴らしかったと言えるだろう。阪神のスカウトに求められる力だ。


 そのリュウケンが男児に恵まれなかった理由というのも、良く解っていない。タネ的な問題も考えられるが、作中に妻らしき女性が登場していない点を考慮するなら、そもそも結婚していないという可能性が高いだろう。いや、愛した女が若くして死に、彼女一筋であったリュウケンは二度と妻を取らなかった、というパターンも考えられる。あ!ケンシロウと一緒だね!

 では年齢的な問題だろうか。折角なのでリュウケンの年齢を少し考察してみよう。蒼天の拳の序盤、1935年の時点でおよそ10歳強であるのが見てとれる。殺されたのは199X年より少し後なので、没年齢はおよそ75〜80歳辺りであろうか。そして蒼天の拳の冒頭、ケンシロウが生まれたのが197X年。そこからラオウ様達を引き取るまでは殆ど経っていないので、養子を迎えたのはおよそ42〜52歳ということになる。つまりまだまだ余裕でベイビーを作れるお年頃だということだ。にも関わらず、早々に養子を受け入れることになったのは、リュウケン自身にもう子供を作る意思が無かったということだろう。


 そんなこんなで、ラオウ、トキ、ケンシロウ、そして輸入先の不明な三男ジャギの四名がリュウケンの養子となり、ここからカリスマトレーナー・リュウケンの指導の下、彼らは北斗神拳伝承者という結果に向けてコミットしていくこととなった。そしてその結果、彼は4人中3人の子供達を北斗神拳史上でも類を見ない程の拳士へと成長させた。阪神の育成コーチに求められる力だ。

 もともとの素材が良かっただけでは?という見方もある。だが素材を活かすも殺すも結局は料理人の腕次第。現にラオウ様に匹敵するはずの才能を持っていたジュウザは、まあ強いとはいえ結局あの程度に収まってしまった。それは彼を鍛えた人物に育成力が無かったが故だ。そういえばジュウザ外伝ではその役目をリハクが担っていた。やっぱりな、と言わざるを得ない。ジュウザもリュウケンコーチの指導を受けてさえいれば、北斗神拳を我流にアレンジしたとんでもねえ拳法の使い手へと進化していたことだろう。何それ見たい。


 しかし北斗神拳は一子相伝。いずれは一人に絞らねばならない。だがリュウケンは、心技体の揃ったトキこそが最も伝承者に相応しいと、既に自身の中で内定を下していた。

 ところが世界が核の炎に包まれたあの日、トキはシェルターの外で死の灰を浴びて不治の病に冒され、伝承者の座を断念することとなった。これはリュウケンにとって大きな誤算だっただろう。ほぼトキに決まりかけていた伝承者選びを、またイチからやり直さねばならなくなったのだ。最強の拳を持つが、大きな野望を抱いていた長兄。センスはあるがまだまだ未熟であり、甘すぎる性格を持つ末弟。一長一短あるこの二人から一人を選ぶのは、実に難しい選択だっただろう。難しすぎてどこからか巨大な虎を調達してきたほどだ。

 そしてもう一つの誤算は、伝承者の決定日が延期になったことだった。例え伝承者を決めたとしても、リュウケンにはまだ「伝承者争いに敗れた者達の拳か記憶を封じる」という役目が残されていた。それつまり、己が育て上げた究極の拳士であるラオウに勝利せねばならないという事。
 おそらくリュウケンには、トキを伝承者に決めた時点では、それを成せる自信があったのだろう。しかしトキの脱落により、Xデーが持ち越しになったことで、状況は変わった。ラオウかケンシロウかを選別する日々の中で、リュウケンの病が進行し、確実にラオウを倒しうる機会を逸してしまったのだ。そして伝承者がケンシロウに決まった日、その答えは出た。北斗神拳奥義 七星点心にてラオウを圧倒するリュウケンであったが、既に彼の身体は闘えるような状態ではなく、奥義の連続使用という無茶な行為によって心臓に異常をきたし、凶拳に斃れたのだった。199X年、トキの運命が変わったあの日に、リュウケンもまたその運命を大きく変えられてしまったのである。


 そしてこの後、リュウケンの危惧したとおり、ラオウは世紀末覇者拳王となりてこの世界を暴力で支配した。どういう経緯があったにせよ、あの暴凶星を造り上げたリュウケンの罪は重い。
 そういえば、彼はある時を境に急にハゲた60代の頃であろう。フドウが道場で暴れた頃はすっかり白髪になってこそいたが、まだ毛量は十分にあった。そこから「ハゲかけ」の状態を経ることなくツンツルリンになっている事を考えると、おそらくあれは剃髪による禿頭だと思われる。蒼天の拳で劉宗武がそうであったように、剃髪という行為には「過去に過ちを犯した自分を殺し、新たな自分に生まれ変わる」という意味が込められている。リュウケンが犯した過ち・・・それはラオウという危険な男を育て上げてしまったこと。この男を鍛えればどこまで強くなるのか。その興味に負け、危険であると気付きながらも、ラオウという究極生命体を爆誕させてしまったのである。だがこのまま彼を伝承者にするわけにはいかない。自らが撒いた危険の種は、自らの手で刈り取らねばならない。そんな覚悟と反省を込め、リュウケンは自らの頭を剃り上げたのではないだろうか。そして何故俺はリュウケンのハゲまで擁護しているのだろうか。

 まあ結果的にラオウ様はこの世に光を齎すために必要な存在となられたので、彼を育てたリュウケンの行為は寧ろ賞賛されるべきであろう。それよりも問題なのはジャギの方である。あのような外道に拳を与え、あまつさえ野に放ってしまった事の方を猛省すべきだ。まあそれはまたジャギの解説のほうにて・・・




●霞羅門時代

 長生きした者の特権とでも言うべきか、北斗の拳より60〜70年ほど前の時代を描いた「蒼天の拳」にも彼は登場した。主人公・霞拳志郎の(母違いの)弟というかなり重要そうなポジションであったが、実際は本編のストーリーとはほぼ関ることのないド脇役であった。どっちかというと、北斗の拳から引き続き登場したゲストキャラといった意味合いが強かったのだろう。

 蒼天の拳の中での彼の名前は「霞 羅門」となっていた。リュウケンに名前を変えたのが何時なのかはよく解っていない。1970年代ではまだ霞羅門を名乗っているようだが、それ以前の出来事であるジュウケイ魔界入り事件の時には既にリュウケンと呼ばれている。「北斗の拳 SPECIAL」内の記述によると、北斗の拳の世界は名前が記号化しており、混血化も進んでいるという理由で、無国籍なカタカナ表記の名前が増加したらしい。おそらく割と早い段階で「リュウケン」という二つ名を持つようになり、あるときを境に完全に本名は使われなくなったのではないだろうか。

 作品の冒頭である197X年には、何故かケンシロウが生まれた場面に立ち会い、そして名前までつけていた。一見するとケンシロウの父親のようにも見えてしまう状況だが、後に「ラオウ、トキ、ケンシロウの三人の義兄弟が跡継ぎのいない北斗神拳伝承者リュウケンのもとに送られることになる」という記述も出てくるので、「男児に恵まれなかった」という北斗の拳の設定はちゃんと生きているということになる。おそらくケンシロウの母が、リュウケンのいる北斗の寺院で世話になっていたような感じだろう。旦那が急死したことでリュウケンを頼ってきたのではないだろうか。で、ケンシロウは生まれて直ぐに海を渡って、戦争の激化と共に1年ほどでまた日本に戻ってきたというわけだ。
 ケンが生まれたとき、リュウケンはいつか兄の物語を聞かせる事を約束している。「真救世主伝説 北斗の拳 トキ伝」にて、ケンが霞拳志郎の存在に少し触れている事を考えると、約束はちゃんと果たされたのだろう。


 時はグッと巻き戻って1935年4月。およそ10〜12歳と思われるまだまだクソガキな羅門君であったが、それでも既に上海ヤクザ数名を事も無く撃退するほどの強さを持っていた。この時、兄拳志郎より、自分が日本に戻らないときは次の伝承者はお前だと指名されているわけだが、「蒼天の拳 リジェネシス」にて継承の様子も明らかにされるかもしれない。

 次に登場したのは1937年8月頃。2年4ヶ月という時を経て少年はかなりのイケメンへと成長していた。全北斗神拳拳士のあらゆる年代の姿の中でも、最上位にランク付けしていいほどのハンサム具合だと言えるだろう。誰がここからの怒りのハゲロードを予測できただろう。
 その後は帰国する船に乗った玉玲を船上で護衛するという役目を与えられ、それが最後の出番となった。おそらくそのまま上海に上陸することなく、日本へトンボ帰りしたのだろう。可哀想。

 後に彼と伝承者の座を争うことになるコウリュウは登場しなかった。少なくとも15歳程まで、リュウケンは一人で北斗神拳を学んでいたという事になる。それほどのアドバンテージがあったにもかかわらず、後にコウリュウに実力で追い抜かされているというのは少々情けない。いや、コウリュウが天才すぎたというべきか。やっぱ老いても髪ある奴は違うな。




●スパルタ教育の根底にあったもの

 ラオウ、トキ、ケンシロウの3人を育て上げたリュウケンの手腕は、確かに素晴らしい。だがその教え方が上手かったのかと言われると疑問だ。彼の育成方法は、言うなれば超スパルタ。小学生程の子供を崩落に巻き込む形で崖下へと落としたり、立ち上がれなくなる程痛めつけたりと、現代なら動画をSNSで拡散されての大炎上案件間違いなしの虐待的指導法であった。まあそれで結果みんな強くなったわけだし、四人とも特に不満や遺恨も無いみたいなので別にいいのだが、おそらく色々と良くない影響も及ぼした事だろう。子供の頃は結構笑ってたケンさんが、大人になって殆ど笑顔を作らなくなったのも、きっと地獄のような修行の日々の中で少しずつ感情を零していったのが原因ではないかと思われる。

 彼が鬼教官となった理由、それは子供達が全員"養子"だったからなのかもしれない。一応戸籍上はリュウケンの子供とはなっているが、所詮は4人とも血のつながりの無い他人。そこに親子ならではの愛は無い。実際そのような描写も無かった。「父」として下手に親子ごっこを演じる暇があるならば、「師」として一心不乱に拳を教えるべきだと心に決めたのではないだろうか。

 だがリュウケン自身は、父であり師である霞鉄心と良い関係性を築けていた。それで相当強い伝承者へと成長できたのだから、自身も同じように子供達と接すればよかったのではないか。そもそも蒼天の拳における羅門少年は明るくてひょうきんな性格だったのに、何故彼はオッサンになってあのような虐待オヤジと化してしまったのだろうか。

 ラオウとトキを引き取ったときには、既に子供達を崖下に落とす非常識なオヤジと化していた。つまりリュウケンが15歳〜50歳の間、西暦で言うと1938年〜197X年の間に、彼の性格を大きく変える事件があったのだと思われる。妻に先立たれているという予想が正しいなら、それが原因とも考えられる。だがそれで子供達にキツく当るというのは、下手をすれば単なる八つ当たりだ。あまり考えたくは無い。

 もっと大局的な視点で見て、その期間内にあった大きな出来事を挙げるなら、それは太平洋戦争の終結。日本に二発の核爆弾が落とされ、敗戦国となったことだ。「蒼天の拳 リジェネシス」の中で霞拳志郎が死ぬことが予告されているので、1945年の時点ではリュウケンが伝承者の座を継いでいた可能性は高い。北斗神拳伝承者の宿命は、時代に平安をもたらす英雄を守護すること。にも関わらず、リュウケンは己の国に原爆を投下された。つまりリュウケンは、「歴代の北斗神拳伝承者の中で最も宿命を果たせなかった男」という見方ができるのだ。
 もちろん、リュウケンの時代には「守護すべき英雄」という存在自体が居なかったという可能性もある。だからといって自分に責任が無いと割り切れるような性格でもなかろう。20万人以上の罪無き人々が核で死ぬ事になったのは、宿命を果たせなかった己の責任―――。抱えなくともよい業を背負い、嘆き苦しみぬいた日々が、彼の性格を変えてしまった。そして二度とこのような悲劇を起こさぬためにも、次なる伝承者を徹底的に鍛え上げると心に決め、鬼教官リュウケンが誕生してしまったのではあるまいか。

 ま、結局199X年にもっと酷いことになるんですけどね。育成に熱中しすぎてまたまた伝承者としての本分を忘れちゃったのかな・・・




●才なきが故に強かった男

 2018年現在、北斗の拳公式サイトのトップページは左図のようなデザインになっている。霞拳志郎とケンシロウ。二大主人公が並び、両者の名前の上には「62代」「64代」と、それぞれの北斗神拳伝承者の代目がデカデカと記されている。まるで63代目が谷間の世代だと強調するかのように。

 拳志郎もケンシロウも、それぞれの代で歴代最強の伝承者と言われた男達であった。そんな二人に挟まれてしまっては、このリュウケンの扱いも仕方の無い事と言えるだろう。

 リュウケンが伸び悩んだ理由の一つとして、「北斗宗家の血が薄かった」という点が挙げられる。彼の兄である霞拳志郎は、宗家の血を引く父・霞鉄心と、北斗劉家拳伝承者 劉玄信の娘・月英の間に生まれた「純血の北斗の男」であった。対してリュウケンの母は、鉄心が日本で娶った名も無き女性。つまりリュウケンには、兄・霞拳志郎と比べて半分しか北斗の血が流れていないということになる。ケンシロウの両親は明らかになっていないが、ジュウケイによると兄ヒョウよりも宗家の血が濃かったらしいし、あの強さを考えるても、拳志郎に負けず劣らずの良血統であったと考えられる。故にリュウケンには主人公として足るだけの実力も、華も、髪も無かったのだろう。そんなんだから外伝も変な読み切り1本しか作られないのである。


 とはいえ、リュウケンに対して「弱い」などという印象を持っている人は殆どいないだろう。あのラオウ様を相手にほぼ一方的な展開に持ち込んだというのはとてつもないキャリアだ。結果的には病気による心臓発作に襲われて負けてしまった訳だが、「師匠ポジ」のキャラクターに求められし強さは十分に披露できたと言えるだろう。

 ただその圧倒劇には理由がある。まず一つは、リュウケンがラオウの闘い方を知り尽くしていた事。彼は師匠として、十何年に渡って彼に拳法を叩き込んだ男だ。攻撃、防御、構え、歩法、呼吸、思考、癖、弱点、反射神経、身長、体重、血液型、好きなお味噌汁の具・・・ラオウという男の全てを熟知していたことだろう。もちろん、ラオウの方も師の強さを十分知ってはいた。しかし教えられる側にとっては教わることが全てなのに対し、教える側が全てを見せているとは限らない。実際リュウケンは七星点心の存在をラオウに隠していた。情報戦という観点において、リュウケンはラオウを大きくリードしていたのだ。

 そして今挙げた七星点心の存在。やはりこれが最大のポイントであろう。ラオウとの戦いにおいて、リュウケンはこの奥義を連発し、そのまま押し切ろうとしていた。しかし強力な技ゆえに身体への負担も大きかったのか、結局ラオウの拳を封じる前に、リュウケンは心臓に限界を迎え、大逆転負けを喰らってしまうこととなった。
 リュウケンがこのような戦い方を選んだ理由。それは彼の身体が長時間戦える状態ではなくなっていたからだろう。そしておそらく、もはや「七星点心無くしてラオウに勝つことは出来ない」と考えていたのだと思われる。前述の通り、リュウケンはラオウの全てを知っていた。その上でこのような特殊な戦法を選んだということは、既にラオウの力は己を遥かに上回っていると判断したからに他ならない。それは自身が発した「わたしは恐ろしい男をつくりあげてしまった!!」という発言からも見て取れる。相手の強さ、そして老いた自分の弱さを冷静に判断出来ていたからこその七星点心ごり押しだったのだ。

 北斗七星点心という奥義は、北斗琉拳がわざわざそれを破るためだけの専用場所を用意するほどの存在。そしてカイオウの「北斗神拳伝承者は必ずやその動きをとる!!」という台詞から見ても、伝承者にのみ伝えられる特別な奥義なのだろう。その理由は、リュウケンが成そうとした事と同じ・・・つまり七星点心は、伝承者争いに敗れた者の拳を封じるための奥義だったと考えられる。一子相伝という北斗神拳の掟を守り続けるため、先代伝承者が落選者に敗れることはあってはならない。例え実力を追い抜かされていようとも、この奥義ある限り決して負けることは無い。それほどの強さを秘めた奥義なのだ。つまりリュウケンがラオウを圧倒したのは、この七星点心の強さに依る部分が大きかったと考えられる。

 ラオウと戦った時、おそらくリュウケンは80歳近い年齢であった。故に能力でラオウを下回っていたのは当然であるし、奥義に頼らざるを得なかったというのも解る。だがこれとジュウケイ戦の内容を併せて見ると、また別の見方が生まれる。リュウケンは、あの戦いを仙気雷弾の一発で決着させた。ジュウケイを倒すには魔闘気を使いこなせていない今しか無いと判断したリュウケンは、宙へと吹っ飛ばされたその状態から、臨機応変に仙気雷弾を選択したのである。その威力、そしてチョイスともにベストであったと言えるだろう。これは「千変万化する戦いの中で奥義を見出す」という北斗神拳の特性と一致する。ラオウに対しては七星点心を、そしてジュウケイに対しては仙気雷弾を、それぞれの状況を見極め、最大限の威力をもって戦いを決着させようとした。つまりリュウケンは奥義に依存していたのではなく、奥義の使い方が抜群に上手かったのではないだろうか。

 ケンシロウも様々な強敵と拳を交えてきたが、奥義が大局を占めた戦いというのは意外と少なかったりする。それに比べると、奥義に全てを賭ける感じのリュウケンの戦い方はかなり特殊だと言えよう。様子見もせずに奥の手を使用する事はリスクを伴う。相手が万全の状態ならば躱される可能性も高いし、それによる自身の消耗も大きいからだ。だがリュウケンは、確実にその奥義を炸裂させ、そして勝負を決着させうる自信を持っていた。それは彼が誰よりも「奥義の練磨」に力を注いでいたからなのだ。
 彼の兄・霞拳志郎はまさに天才であった。その姿を目の当たりにしたリュウケンは、自分と兄の間にある大きな才能の隔たりを感じていたことだろう。だが己もいずれ北斗神拳を背負う者として、少しでも兄の強さに近づかねばならなかった。そのためにリュウケンが選んだ方法、それこそが、奥義を徹底的に磨き上げる事だった。例え己より強い相手が現われても、形勢を逆転しうる程の強力な奥義を身につけることで、彼は自身の能力不足を補おうとしたのではないだろうか。

 リュウケンが見せた、七星点心と仙気雷弾という二大奥義。この二つに共通しているのが、複数の残像を作り出す「分身」という要素だ。その目的が「敵を幻惑する」ためである事は間違いない。これは北斗神拳と非常に相性が良い。必殺の秘孔を突けば一撃で勝利が決まるという北斗神拳において最も求められるのは、「確実に攻撃を当てる」ということ。どこから攻撃が飛んでくるか解らない分身技は、その特性を最大限に引き出せる技法の一つだと言えるだろう。
 だがもしかしたら、先の二つの奥義に「分身」という要素は本来含まれていないのかもしれない。七星点心は死角へと滑り込む動作をより見えにくくするため、仙気雷弾は上空からの攻撃を迎撃されぬため、リュウケンはそれぞれの奥義に「分身」という独自の要素をプラスすることで、より強力に進化させたという可能性も考えられる。これこそがリュウケンが目指した「奥義の練磨」の集大成。「自身」ではなく「奥義」を鍛え、北斗神拳に更なる可能性を見出した事で、彼は先代、後代にひけをとらぬ強さを身につけることが出来た「努力の人」のである。




●北斗神拳道場襲撃事件

 むかしむかし、北斗神拳の道場に一匹の鬼がやってきたそうな。圧倒的な体格とパワーを武器に、悪辣非道な行いを繰り返してその男は、「鬼のフドウ」と呼ばれ、人々から恐れられていた。向かうところ敵無しであったフドウは、最強の拳法として知られる北斗神拳をその標的と定め、道場破りを決行した。貧弱なる門下生達をゴミのように蹴散らしたフドウは、金と食料を褒賞として受け取り、高嗤いを挙げてその場を立ち去った。その一片の慈悲もない鬼の闘気に、若かりしラオウは生まれて初めて恐怖を感じたんじゃとさ。こわやこわや。


 善のフドウの呼ばれし男の衝撃の黒歴史として語られたこのエピソードであるが、どうも納得しかねる部分がある。それは、弟子を沢山ぶっ殺されたというのに、リュウケンに全く仇討つ気配がなかった事だ。

 あれが仮に北斗神拳側からの催し・・・つまり「挑戦者求ム!」的な広告を出し、それにフドウが乗ってきたというのならリュウケンが手出ししないのもわかる。しかし秘匿された拳法である北斗神拳がそんな挑発的なことをして集客するとは思えない。つまりあれは、フドウの方から乗り込んできて、勝った場合の褒賞を要求してきた可能性が高いということだ。そんな何の得も無い要求をリュウケンが受けるだろうか。

 リュウケンが要求を呑んでいないとするなら、考えられる可能性は一つ。あれは道場の門下生達が勝手に受けたのだ。乗り込んできたフドウに拳法を貶され、怒り狂った門下生達は、無視しろというリュウケンの忠告も聞かず、決斗を申し込んだ。しかし得の無い勝負はしないとフドウが言うので、仕方なく金と食料を自分達で準備。リュウケンはあくまで立会人としてその勝負を見届け、忠告を聞かなかったアホな門下生達が殺されていく様を傍観していただけなのである。

 しかし自業自得とはいえ、弟子が殺されたことに変わりは無い。仇討つまでは行かなくとも、道場主として格の違いを見せるくらいの事をせねば他の門下生達にも示しがつかない。それにフドウの口から北斗神拳の悪評を流布される可能性もある。やはりリュウケンが相手をするべきだったのではないだろうか。

 リュウケンがフドウをだまって見逃した理由、それはラオウの為だったのではないかと思われる。あの日、鬼の闘気を目にしたことで、ラオウ様は生まれて初めて「恐怖」を感じた。つまりそれは、今までリュウケンはラオウ様を全く恐れさせる事ができなかったという事。子供の時ですらビビらせられなかったのだから、それは今後も同じだろう。つまりその日ラオウ様が恐怖を感じた事は、リュウケンが教えることの出来なかった貴重な体験だったのだ。

 恐怖は闘いの中に大きな隙を生む。ましてやそれが初めての体験ともなれば、敗北は必死であろう。だがもし過去に一度でも恐怖を感じたことがあれば、その経験を元に対応することできる。ラオウ様が恐怖したことは、いずれ彼にとって必ずプラスになるとリュウケンは考えたのだ。だがもしあの時リュウケンがフドウを呼び止め、ボコボコにするなり秘孔で虚脱させるなりしたなら、ラオウ様の恐怖は収縮していただろう。フドウを見逃すことで起こる様々なリスクを負ってでも、リュウケンはラオウという男を成長させうるこの恐怖体験を優先させたかったのである。