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ファルコ



登場:原作(145〜165話) TVアニメ版(115〜124話)
   北斗の拳2(FC)、北斗の拳3(FC)、北斗の拳6(SFC)
   GB版、メガドライブ版、真北斗無双、他
肩書:帝都の金色将軍
流派:元斗皇拳
CV:田中秀幸(TVアニメ版)
   江川央生(真北斗無双)
   小杉十郎太(パチスロ新伝説創造、リバイブ)

 元斗皇拳伝承者。帝都の若き猛将軍。右足に義足をつけている。

 かつてリンルイが生まれた際、天帝を一人に絞るため、片方を殺すようジャコウから受命。元斗皇拳伝承者の宿命に従い、リンを殺そうとしたが、その無垢な笑顔の前に鬼になることができず、自らの叔父夫婦に預ける事で、その存在を闇に隠した。

 天帝の村拳王軍が侵攻してきた際、元斗皇拳の代表としてラオウと対面。例えラオウと相討ちにできても、拳王軍の残党によって村が全滅させられるであろうことを予感し、戦いを拒絶。このまま村を素通りしてくれと頼み、その代償として己の右足を切断して差し出した。その後、災厄を招く者としてジャコウを殺すよう忠告されたが、母の涙の前で殺す事ができず、断念。だが結局その予言どおり、ジャコウに天帝を幽閉され、帝都の暴虐な支配に手を貸すこととなった。

 ジャコウより北斗南斗に関わる者を抹殺するよう命じられ、それを遂行。レジスタンス部隊である北斗の軍を制圧し、リーダーであるバットを殺そうとした。しかしその目が他の誰かに殉ずる目であることを見抜き、真のリーダーを探した結果、かつて自分が救った赤子・リンの成長した姿を発見。これも宿命としてリンを殺そうとするが、ハーン兄弟の乱入で中断され、闘いに。最後は不発弾で自爆されるも、兵士達が壁となって守ってくれたため、無傷のまま帰還した。

 ケンシロウの接近によりジャコウが狂い始めたため、天帝の命の危機を感じ、出陣。己が負けたら中央帝都を爆破するようミュウに告げ、ケンシロウの前へと立った。数々の奥義や義足故の戦法でケンと互角の戦いを繰り広げるも、共に決定打なく泥仕合に。そして力を使い果たした頃、二人まとめて亡き者にせんとジャコウが登場。爆弾付きの鉄矢で殺されそうになるが、アインが噴出させた水柱によって危機を脱出。同時に天帝が救い出された事を知り、ジャコウの呪縛から解き放たれた。義足を狙ってきたジャコウの攻撃をものともせず、全ての恨みを込めた熱闘気でジャコウを滅殺。救い出されたルイからの感謝の言葉に、枯れていたはずの涙を流した。

 帝都崩壊後、リンがジャスクによって修羅の国へと連れ去られたことを知り、単身渡航。上陸後、立ちふさがった修羅との戦いで義足が取れ、敗北した。しかし遅れてやってきたケンに刹活孔を突いてもらい、一時的に復活。激戦の末にその修羅を倒し、元斗皇拳伝承者としての誇りを守った。その後、夕日を見ながら死を迎えようとしたとき、海の向こうから元斗の伝書鳩が飛来。ミュウの中に己の子が宿っている事を知り、元斗皇拳が潰えぬ事に安堵しながら死を迎えた。

 TVアニメ版では、マミヤの村の長老を殺すという役目が、ソリアに変更されている。









 モデルはドルフ・ラングレン演じるロッキー4のドラゴ。登場した頃はおそらくその役の通りの殺人マシーンキャラだったと思うのだが、いかんせん行き当たりばったりな両先生のことなのですぐに路線変更させられたのだと思われる。


〜ファルコは失敗したキャラなのか?〜
 彼も結構人気のあるキャラだけに初っ端から貶すような事は言いたくはないのだが、個人的には失敗キャラだと思う。登場したことが失敗ではない。その生き様、死に様が失敗だったのだ。
 まず彼の優柔不断さが生んだ罪からほじってみたい。帝都編における惨劇の数々を招いた最大の元凶はジャコウであり、次点で罪を問われるべきはそのジャコウを止められる立場にあったファルコである。ジャコウの悪意に気付かなかったというなら仕方ないが、あれだけ拳王様がわかりやすい形で示してくれたというのに、結局右から左に受け流して放置。オカンが見てたからできなかった?彼女とのKISSじゃあるまいし・・・。100歩譲ってそれに納得したとしても、後日オカンの見ていないところで殺せばいいだけの話。きっと、若干時間が経ったからタイミングを失ったとかそんなところなのだろう。その優しさ、甘さがファルコの良い所なのかも知れないが、だったら村長とか南斗の男達には容赦はないんかいという事になる。これは描き方一つだが、登場した時のファルコの表情などミスター冷酷漢と呼ぶに相応しい顔をしていた。この顔なら楽勝でジャコウなど殺せていただろうに。それとも、天帝の命を守るためなら冷酷になれるということなのか?ということはつまり、ジャコウを冷酷に殺す事ができなかったのは、天帝には危険が及ばないからと考えたからと言うことになる。その危険察知能力のなさは、天帝の盾として生きる男としてどうだろうか。単なる予測では動けないということなのか。しかしその割には、ケンとの戦いで俺が負けたら帝都ごと爆破しろと言っていた。己が死ねばどうせジャコウは天帝を殺すから、ジャコウも天帝もまとめて全てを壊してしまえということであるらしい。そんな曖昧な予測のために天帝を殺してしまうというのか。なんとも一貫性が無い。駄目もとでケンシロウに天帝救出を依頼して死んだほうがなんぼかマシだ。それに、もしケンシロウに勝っていたとして、その後はどうするつもりだったのか。北斗の軍を殲滅して、また恋人の体をジャコウに差し出しながらじーっと口を割るのを待つ日々を過ごすのか?気の長い話である。天帝が生きてさえいれば、どこに幽閉されてどんな生かされ方をしていようが関係ないというのだろうか。少しはギャンブルする勇気をもって、ケンに相談して自白させる秘孔を突いてもらうとか、そういう選択肢もなかったのだろうか。
 長々とファルコのミスを書き連ねたが、別にそのミスをしたからどうという事では無いのだ。結果そうなってしまった事は仕方ないし、数百と言う人々の命を犠牲にしても天帝の命を優先させたのならそれはそれでいい。元斗皇拳伝承者としての宿命を常に優先させる、まさしくドラゴのようなマシーン的キャラクターであればよかったのだ。しかしファルコは優しい男として描かれた。流し尽くした涙の代わりにその義足で涙を流す、北斗一部下の信頼厚き男。己の行ったことに対しての責任は嫌というほど感じていただろう。だからこそ怪我の体を押してでもリンを追ったのである。責任を取って自害するという選択肢もあったはず。しかし、生きて戦い続けることこそが、己の罪を少しでも洗い流す事であると信じ、ファルコは修羅の国へと渡ったのである。だが、そんなファルコに待っていた死に様は、あれだった。彼が命をかけて倒したのは、沿岸警備担当のケムマキ君だった。これは正直ひどすぎる。可哀想という言葉では済まされないほど哀れである。汚名返上の機会どころか、今度はケンシロウと互角だったという強さまで疑われるような最低の戦果であった。それもこれも全ては修羅の国の恐ろしさを伝えるためなのだとすれば仕方ないかなとも思えるのだが、結局は砂蜘蛛だけが稀代の天才修羅だったような感じであり、これも失敗に終わったような感じは否めない。ファルコがどんな気持ちで修羅の国に渡ったのか、それを理解できずに安易に殺してしまった事が、ファルコというキャラクターを描く上での最大の失敗だったと思う。
 彼が万全の体調で、義足の調整もしっかりしていたなら、ハンと互角に戦えるほどの力はあっただろう。修羅どもを薙倒し、羅刹に間違われ、赤い水を流す事もできたはず。そしてそこでケンシロウと再会し、彼はこう言うのだ。俺は戦うことでしか自分の罪を償う事ができぬ男。そのためにならこのファルコ、命果てても本望である、と。どこかで聞いた台詞のような気もするが。




〜結局強いのか?弱いのか?〜

 さて、その砂蜘蛛戦でケチがついたファルコの強さであるが、実際のところどうなのだろう。ケンシロウ戦における引き分けは、十分な成績といえる。しかし残念ながら、内容を見れば互角とは思えない。まずケンシロウ自身が告白しているように、ケンの拳には止めを刺すほどの威力が篭っていない。怒り状態でないという時点でかなり強さが弱体化するケンさんであるというのに、それに迷いまであるとするなら、それはもうアミバに苦戦していたときのケンとなんら変わりない。一方ファルコのほうは、天帝を守る事に命の全てを捧げている男。戦う意思は弱くとも、負けられないという立場からして手は抜けない。この時点でまず差がある。それにケンは無想転生を使っていない。どころか、戈穴以外はこれといった奥義も使ってはいない。むしろ自らを弱体化する上血海によって、足の自由を利かなくしている。制限が多すぎるのだ。足の自由はファルコの邪法拳を見切るためのものだとリハクは言ったが、それはケンがわざとその邪法拳を出させたからに過ぎない。ファルコは戦わずして片足を失ったため、ケンはそれに合わせて戦っていた。つまりその片足から生み出された拳を出させ、それを乗り越えた上での勝利を掴む事に意味があったわけだ。だからケンはわざわざ片足を封じ、戦いを長引かせ、あの邪法拳を出してくるのを待っていたのである。決して片足を封じなければ勝てないという意味ではない。そして、ファルコが片足を失って強くなったという事でもないのだ。
 シュウの目もファルコの足も、どちらも彼らの力を大きくダウンさせている事は否めない。では足を失っていない頃のファルコ、つまり拳王様が侵攻してきたときの強さはどうだろう。その時の台詞でやはり注目されるのは、「ラオウを倒す事は可能」という発言である。拳王様が否定しない事を考えても、あながち嘘でもなさそうだが、この台詞が拳王様と同列の強さであるという意味では断じてない。あくまで「可能」なだけである。それも、倒した場合は必ず自分も死ぬという条件つきだ。そういった条件ならば、レイにも可能である。断己相殺拳を放たれた際、拳王様は切り刻まれる自分の姿を予見した。あれがもし成功していれば、拳王様はレイの拳によって切り裂かれ、レイもまた剛拳を全身に浴びて死亡し、相討ちになっていたのである。つまり南斗六聖拳レベルでも十分捨て身の相討ちくらいは可能なのだ。しかし、レイに対する拳王様の態度と、ファルコの足に払う敬意の差は埋められない。権威に左右されない拳王様であるから、その敬意の差は強さの差と考えていいだろう。少なくともサウザー以下の強さであるとは考えにくい。嘘か真か、北斗神拳をも凌駕するとまで言われた拳の伝承者なのだ。弱いはずが無い。そう、きっと義足でなければケンに無想転生をも使わせるほどの強さであり、砂蜘蛛に手こずることも無かったはずだ。ハンにも勝てたかもしれない。修羅どもを薙倒し、羅刹に間違われ・・・あれ、どっかで言ったなこれ。